所長ブログ

2013年9月13日 金曜日

法律家に必要な資質に関する雑感

今週の火曜日に司法試験の合格発表がありました。ちょうどいい機会なので、法律家に必要な資質に関して、最近、感じることを書きたいと思います。なお、法律家については、いろいろな解釈がありますが、ここでは、いわゆる法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)についての話に限定し、司法書士などの隣接士業や公務員などは議論の対象に含めないことにします。

最近の事件処理の中で感じることは、法曹三者、特に弁護士の中に、著しく能力に問題のあると感じる者が増えていることです。当職は、9年前の10月に弁護士になり、2つの事務所で勤務弁護士を経験した後、昨年8月に独立しました。最初の事務所は、どちらかと言えば企業法務、特に、契約書の作成が中心でしたので、あまり他の事務所の弁護士の書いた書面を見る機会はありませんでしたが、少なくとも、紛争の相手方の代理人となっている弁護士も、法律家としての通常の能力は備えていました。二つ目の事務所は、金融商品被害の事件が中心の事務所でしたので、訴訟事件は多かったですが、相手方は、主に、銀行や証券会社で、数が限られていますから、彼らの代理人となる弁護士も数が限られていました(同じ会社が、次々と別の弁護士を雇うわけないので、ある意味当然のことですね)し、ある意味、紛争に手馴れている会社(特に証券会社)ですから、弁護士の能力をきちんと見極める目を持っていて、法律家としての通常の能力は備えている弁護士がほとんどでした。

独立後、種々の事件を扱っていますので、相手方となる弁護士のタイプも増えてきました。そうすると、「弁護士の能力低下」ということが言われる理由が実感できるようになりました。前にもブログで書きました(該当する記事は、こちら)が、書面の日本語の意味の分からない弁護士も出てきました。

また、現在、東京地方裁判所で行っているある事件の相手方の弁護士の書いた書面は、明らかに法律家としての知識・能力の不足を感じさせるものでした。その弁護士の請求の趣旨に対する答弁は、訴えの却下を求めるものでしたが、訴え却下判決は、訴訟判決であり、法律上、必要な訴訟の要件が欠けている場合でなければなされない判決ですから、普通の弁護士であれば、訴え却下判決を求める場合も、訴え却下判決を求めつつ、予備的に(すなわち、訴え却下が認められない場合にはということで)請求の棄却判決を求めるのが普通です。しかしながら、その弁護士の作成した書面には、訴えの却下だけを求め、予備的に請求棄却を求めることが何も書かれていませんでした。さすがに、その弁護士も、これは、書面を書いた後、期日までに気付いたようで、法廷で、次回の準備書面で追加する予定であることを言っていましたが、通常の能力と経験を備えた弁護士なら、書面を出す前に必ず気づく部分です。さらに、今、この弁護士が書いた書面に対する反論を書いているのですが、会社法の規定を完全に無視した主張など、突っ込める部分が多すぎて、どこから手を付けていいのか分からなくなるようなひどい内容の書面でした。もちろん、日本の法律は数多くありますので、すべての法律に精通することなど、どんな法律家にも無理ですが、法律家であれば、必ず押さえておかなければならない基本的な法律というものはあり、民法や刑法と並んで、会社法はそのような法律ですから、法律家であれば当然身に着けていなければならないわけです。しかしこの弁護士は身についていないということなのでしょう。守秘義務があるので、詳しくはかけませんが、この事件には当職の依頼者にも苦しい部分もあり、相手方が適切に対応すれば、結構ギリギリの勝負になってしまう案件なので、この弁護士の知識・能力不足に救われそうな面はあります。その意味では有難いとは言えますが、法律家の能力という面で見れば由々しき問題と言わざるを得ません。

特に、法科大学院(ロー・スクール)開校前後、コミュニケーション能力が必要だとか、知財立国の時代だから理系の素養を持った法律家を増やす必要あるとかいろいろ言われました。確かに、コミュニケーション能力だって、理系の知識だって、英語、中国語に限らず語学の能力だって、簿記・会計の知識だってあるに越したことはありません。しかしながら、大前提が一つ忘れられているように思えます。それは、基本的な法的知識をきちんと有しており、法律家としての考え方(「リーガル・マインド」といいます。)をきちんと身に着けていることです。いくら人格が高潔で、費用が安価で、コミュニケーションが上手で、外国語も流暢に操り、理系の知識も豊富で、簿記・会計も理解している法律家がいたとしても、その法律家に肝心の法律の基本的な知識やリーガル・マインドがなければ、法律家としては使い道がないことは当然でしょう。医療のついての知識のない医者が使い物にならないのと同じです。

ロー・スクールができる前は、司法試験の難易度が高かったこともあり、少なくとも、基本的な法的知識とリーガル・マインドについては、司法試験に合格しているという事実が、(100%ではないにしてのかなりの高確率で)担保していました。確かに、変わった人や高慢な人は、裁判官にも検察官にも弁護士にもいました。それは、問題ではあるし、弁護士費用も高いと思われていたかもしれませんが、少なくとも、法律家としての最低限は確保されている人がほとんどと考えて良かったわけです。

そもそも、官僚である裁判官や検察官と違い、弁護士は、専門知識を用いたサービス業です。そして、前提となる知識の維持には費用も掛かるわけですから、弁護士費用が、ある程度、高額な料金になるのは、やむを得ないものです。日本では、サービスに対する対価という概念が希薄なので、弁護士費用を高いと思うのだろうと思いますが、昔から、高すぎるわけではなかったと思います(弁護士が、豪勢な生活を送っていたという話は、かなりまれな話でしょう)。それは、もともと、弁護士は企業家ではないので、当たり前の話と言えば当たり前の話ですし、逆に、弁護士も生活しているわけですから、自らの生活の糧や事務所の維持費用はきちんと稼がなければならないので、むやみに低額にすることもできないわけです。また、一定の費用が掛かるとしても、弁護士の場合は、レベルを維持する必要が高い職業と思います。それは、例えば、食材であれば、1回しか買わない食材など極めてまれですから、価格と品質のバランスを消費者はきちんと考えることができます。たとえば、いくら安くても、腐ったトマトは買わないでしょう。これに対して、弁護士を頼むというのは、事業者は別として、一般の個人は、そうそうあることではないし、何度も紛争に巻き込まれるようでは困ります。一度限りということが非常に多いわけです。そうすると、「品質」の方は、基準が分からないので、よく分からない訳です。しかし、実際には、費用の安さにひかれて、質の悪い弁護士に依頼すると、勝てる事件も勝てなくなる可能性があり、費用の差額程度では補えない大きな損失被るわけです。つまり、弁護士の場合、「質」が大事であるにもかかわらず、「質」は、一般の個人にはよく分からないという問題があるわけで、市場原理に任せるわけにはいかない面があるわけです。下手すれば、「質」が良いかわりに、弁護士費用をきちんととる弁護士が経済的に淘汰されて、世間が、「安かろう、悪かろう」の法律家だらけになってしまう恐れがあるわけです。前に挙げた二つの事件の弁護士が、どの程度の報酬を得たのか分かりませんが、「悪かろう」に属することは間違えないわけで、それは、同業者である弁護士などの法律家が見れば、すぐに分かります。

東京・池袋所在の林浩靖法律事務所の弁護士費用の基準が、「安くない」ことは、当職も承知していますが、「質」に見合ったものであることは、自信を持って言えます(なお、個々の事情によって、基準からお値引きすることは、もちろん行っています)。「安かろう、悪かろう」の弁護士ではなく、「質」を売りにしている弊事務所に、お困りの際は、ぜひご相談ください。

投稿者 林浩靖法律事務所

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